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原 薫

いのちをいただくということ



 前回、表題の「自然(じねん)」についてお話しました。私はこの「自然(じねん)」を日本から発信することで世界中が幸せになったらと本気で思ってます。なぜなら「すべては同じひとつ」だからです。他を傷つけること、汚すこと、粗末にすることは自分を傷つけることと同じなのです。


 みなさんはいつ「自然」という感覚を思い出すでしょうか。副題には「いのちひとつらなり」とありますが、どんなときにいのちのつながりを感じるでしょうか。私は、「食欲」「性欲」「睡眠欲」この三大欲こそ、「いのちひとつらなり」を感じるために神様からいただいた贈り物なのではないかと考えております。


 まず「食欲」。今でこそ、世界中からありとあらゆる食材が手に入りますが、昔は当たり前に地元で採れるものを食べていました。ですからその食材を育んでくれる土地はまさに「身土不二」の存在。また、仏教が普及していた時代には肉食が禁じられていましたが、植物も動物も同じ「いのち」。どちらも感謝しいただくことで、その「いのち」とひとつになり、その「いのち」によって生かされた自身の「いのち」を、今度は他の「いのち」のために生かしました。「動物には感情があるから、殺されたことに対して負の感情を抱いた動物を食べるのは体に良くないから肉は食べない方がいい」という考え方があります。私は狩猟をし、直接的に殺める行為をするので、自身の心身を日ごろから祓い清め、いただいた「いのち」も粗末にすることなく感謝していただくようにしてます。そして「有害駆除」という考え方や取り組み方に疑問を感じております。自然をコントロールしようという、謙虚さを失った人間の考え方だと思うからです。とはいえ、長い時間を費やし手をかけて育てた農作物を食べられてしまったときの切なさたるや、やはりやりきれない気持ちにもなります。ですので、「有害駆除」に代わるいい形が見つかるまでは、「有害駆除」であっても、可能な限りその「いのち」が生かされるようにしているつもりです。


 美味しいお肉を生産されている畜産農家の方は、動物たちの「いのち」を尊重した飼い方をしていらっしゃいます。与えるエサや飼育環境等、実に「愛」を感じますし、動物たちも健康です。感情を抱くのであればなおさら、関わる人の意識が大切なんだと思います。飼い方、殺め方、捌き方、調理の仕方、そして食べ方。


 人間は他の命をいただかなければ生きてはいかれません。植物であっても動物であっても、大切なのは感謝の気持ちといただいた「いのち」のつらなりとして、自身の「いのち」を大切にすることなのではないでしょうか。

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