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原 薫

今こそ、表題「自然」を語る。

市民タイムスコラム第5回 自然じねん~いのちひとつらなり~

 みなさまは「自然」には「じねん」と発音し、「しぜん」とは異なる意味があることをご存知でしょうか。「しぜん」は英語の「nature」を訳するときに「自然」の字を当てたところから、現在一般的に解釈される「自然環境」という意味で捉えられるようになったとのことです。そして「じねん」とは、人間自身もその一部であるという考え方としての「自然」です。

 あえて「自然環境」という書き方をしましたが、「環境」には「境」という文字が含まれているように、人間と自然の間に境を設けた考え方が反映されてます。欧米はキリスト教ですから、一神教の世界。すべては神が創造したのであり、人間も自然もその対象物。しかもそこには順位がついておりました。1.神、2.人間、3.自然、というように。そして産業革命によって、森林は破壊され、その後、今度は環境破壊の反省に立って、自然保護活動が盛んになりました。両者は相反する活動に見えますが、これらはどちらも「自然とは人間より下位であり、コントロールできる対象物」という概念に基づいてます。  一方「じねん」とは、人間も含めて、生物・無機物を問わない万物に神が宿るという自然観です。現代の日本人にとって、この自然観が今なお馴染みの感覚であるのかわかりませんが、古事記に既に「八百万の神」という言葉が出てくるように、明治維新によって欧米の文化や価値観が怒涛の如く押し寄せる明治初期までは、長きにわたり日本人にとって当たり前の感覚だったはずです。

 いのちの水は山から生まれ、その水を治めることで日本は発展してきました。しかしそれは森林の破壊ではなく、棚田に象徴されるように、山を保全し、自然災害を防ぐものでもありました。人間も自然の一部として存在し、その自然を生かし棚田にすることによって人々も生かされてきたのです。私が代表を務める一般社団法人ソマミチのテーマは「杣(そま)の道から始める暮らし」の提案であり、それは「山(じねん)を基準とした暮らしを始めませんか」ということを意味しております。山の思想が平地に及び水田も広がりましたが、そこが都市化していく過程において、私たちはすっかり山の思想を忘れ、欧米的な価値基準によって自然をコントロールする対象物にし、結果、想定外の災害に右往左往しています。コロナウィルスの出現もあり、これからの時代、何を指針として生きて行けばいいのかわからない方も多いかと思いますが、欧州で言われている「グリーンリカバリー」に代わって、私は是非この日本から「自然(じねん)」という概念を発信していきたいと思っております。

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