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原 薫

環境から環響へ(2)



 「環響」…見慣れない熟語ですよね。これは友人のお父様が生前に考えられた言葉。人々の心身を調えるお仕事をされていたお父様は、「環境」という熟語を「環響」と表したい、そう語られていたそうです。直接お話できないので、その本意を伺うことはできませんが、私はその表現に深く共感します。そして「ジネン」とほぼ同意ではないかと捉えています。


 私は高校の頃「環境問題」の現状を知り、強い使命感に駆られて農学部に進みました。化学系を専攻するも、私の興味関心は森林・樹木へと向き、環境問題の解決への糸口を「山と人との生かし生かされる関わり合いによって築き上げられた日本の木の文化」の継承に見出します。


 それから25年、私が林業という世界に身を置き体感したことは、「すべての存在が本来の役割を全うする結果としての自然界の調和」でした。まさに「響き合う」ことが和につながるということ。「環境」という熟語は「環(わ)」とありながら「境」界をつくります。つまり環境問題を「自分の外側の世界の問題」と捉えてしまっており、その捉え方こそが問題の解決をより遠ざけているのではないかと思うのです。


 数年前に取り組んだ環境省事業の際、職員の方が「『環境問題』は環境の問題ではなく、人間の問題なんですよね。」と仰ったとき、至極合点がいった記憶があります。つまり外側の世界の問題ではなく、人間の内側にある様々なエゴが環境問題として表れているのだと。まさに同じことを指摘していたわけですね。


 日本人は本来「和を以て貴しとなす」民族でした。それが明治維新と敗戦後による二度の教育の変化によって極端かつ歪んだ個人主義が広がって、今や不協和音を発しているように感じます。「環響」とは、自分らしい音=生き方が尊重され、それぞれが光り輝く存在となることで美しい響きを生み出すことを言うのだと思います。ありのままの個が尊重された世界こそが調和の世界なのですね。


 ですが多くの方がありのままの自分(真我)が分からず自分らしい生き方から逸脱しているのも事実です。まずは「愛=天意」ある存在としての自分自身を思い出してください。ありのままの自然の中に身を置いて深呼吸するごとに自然からの愛を感じてみてください。自然はいつでも私たちに与えてくれています。愛は与えっぱなしなのですね。それこそが「ジネン」であり、私たちも自然の一部です。「愛=天意」を与える実践をしていきましょう。


=終わり

市民タイムスのコラムはこれで終了となります。


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