信州の森林を代表するカラマツ林ですが、そのほとんどは人の手で植えられた人工林です。カラマツはもともと、八ヶ岳~富士山~浅間山~日光など本州の内陸部で標高が1000m以上の山地に自生していた木で、寒くて乾燥した厳しい環境に適応して生きてきました。特に火山活動や土砂崩れで森林が壊滅した跡地で、他の植物が侵入して来ない土地ではまとまった純林もありました。
しかし、人里近くにある木ではなかったので、一般には馴染みの無い木で、江戸時代には中国の絵に描かれた松のようだということで、庭師がカラマツと呼びはじめたとか。つまり珍しい変わった木という扱いだったのです。樹齢数百年という天然カラマツの材は、木目が美しく強度もある優れた木材として原産地では知られていました。条件の良い土地に植えると、とてもはやく真っ直ぐに育ちます。信州では江戸時代から少しずつ山から苗を取ってきて植えるようになりましたが、本格的に苗木を生産して植林されるようになったのは、明治時代になってからです。
長野県の佐久地方や松本地方など、スギ、ヒノキ、アカマツが育たない、乾燥した寒いところから植林がはじまり、その後もともとカラマツの無かった北海道や東北地方にも広まりました。カラマツの仲間は北半球の寒冷地にひろく自生し植林もされています。ドイツでは特に品質が優れているということで、わざわざ日本カラマツが植えられた時代もあったそうです。
カラマツは暖かくて湿った土地では、病気になりやすく他の木に負けてしまいます。また日陰では育たないので、すでに森林が出来ているところにも入り込めません。人が植えなければカラマツがこれほどまで広まることはありませんでした。植えて育てて利用する、カラマツはまさしく林業のために人によって棲息圏を拡大してきた木なのです。
かつての用途は、杭とか電柱が中心でした。カラマツの基礎杭は東京のような軟弱な地盤に大きなビルを建てるために大活躍しました。また炭鉱の支柱や港の護岸など土木用材、そして電柱にも、丈夫で腐りにくいカラマツが好まれました。戦争に負けて荒廃した国土を復興させるため日本中で木が植えられた時代、信州や北海道では広大なカラマツ林が造られていきました。
【写真1】長野県民有林のカラマツ
【写真2】長野県民有林のカラマツ「天然林」
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