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原 薫

市民タイムスコラム第4回





山の知恵「焼き畑」で里山再生


 私が林業を始めた静岡市井川は大井川最上流部の山村です。住んでいた20年前には人口700人ほどでしたが、今は378人に半減してしているとのこと。私は知人のご夫妻が山を焼く焼き畑(山焼き)を再現したという情報を入手し、5年程前、井川を再訪しました。私は焼き畑に大変興味があり、宮崎や山形にも足を運んだことがあります。急傾斜地ばかりの井川では昭和30年代まで焼き畑が行われ、主食はヒエやソバでした。雑穀が注目を集める中、数少なくなった経験世代の指導で、焼き畑を試みたということでした。



出典:BOTANICA・マイナビ農業・つぶつぶBLOG


 日本で行われてきた山焼きは、森林破壊を引き起こす熱帯雨林の焼き畑と違って、実に理にかなっていました。成長した木々を伐採し、燃やして灰にし、ソバやヒエ、小豆、大豆などを栽培します。4、5年過ぎると伐採した木々の株からの萌芽(ほうが)が成長して、再び山に戻る。まさに循環型の農林業が営まれていたのです。山焼きは造林地でも行われていました。ひと山伐採すると林地には大量の枝葉が残ります。これらを燃やして灰にし、苗木を植えるのです。現在この枝葉を片付ける作業は「地拵(じごしら)え」と呼び、かなりの労力を要します。「棚」と呼ばれる枝葉の山を縞(しま)状にまとめ植林ができるようにするのですが、重機が入れない斜面では人力で行います。また、杉の植林地では初期成長を早めたり連作障害を防ぐために肥料を撒(ま)いたりするのですが、山焼きをするとその効果とともに山もきれいになって病虫害も起きにくかったようで、山主さんには大変喜ばれたと言います。

 私は井川時代に伐採から地拵え・植林という一連の事業に従事したのですが、焼き畑の経験もある現場班長のじいちゃんに、山主さんも喜ぶという山焼きを是非やろうと提案しましたが、返ってきた言葉は「人がいねえずらでダメさや」。確かに山に火を放つわけですから一歩間違えれば大変なことになります。安全に行うには大勢の人が必要でした。ですから昔の山焼きは「結」作業だったのです。


出典:農林水産省


 実は私は密(ひそ)かにこの山焼きで里山の再生ができないかと考えています。研究者ではないので確たる証拠などありませんが、小面積でもいいので安全に火を放って積もり積もった落ち葉や病原菌、外来種のタネや根っこを燃やして火による浄化を行いたいとの妄想です。現代の山焼きは農作物を栽培する目的がないと許可が下りないとのことなので、せっかくだから1年目はソバを撒き、美味(おい)しい焼き畑蕎麦(そば)を食べてみたいです。こんな農林複合経営で里山再生。ハハ、甘いですかね(汗)。

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